日本の首都を山口へ

 先日放送されたテレビ番組「英雄たちの選択」で、室町時代に長州(山口県)の戦国大名であった大内義興が取り上げられました。

 私はこの番組内の最後のコメントにとても興味を持ちました。

 「大内氏は山口を小京都ではなく副首都にしようとしていたのではないか」と。

☆NHK-BS「英雄たちの選択」戦国大名のおもてなし戦略~大内義興の野望~
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025153871SA000/?spg=P201400125300000

目次

小京都

 山口市はしばしば「小京都」と呼ばれている地域の一つです。

 同じように呼ばれる他の地域と同様、何も知らずに考えてみると不思議に感じませんか?

 それほど大都市とも言えない西日本の一地域が、なぜ遠く離れた京都と結びつけられるのでしょうか。

 その背景には、室町時代の戦国大名だった大内義興の存在があります。彼は京都の文化に強く憧れ、多くの公家や文化人を山口に招きました。

 その結果、和歌・茶の湯・寺院建築などの雅な文化が山口に根づいていきます。

☆「おいでませ山口へ」山口県観光サイト https://yamaguchi-tourism.jp/blog/detail_175.html

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独自の文化も形成

 山口市は単に京都を真似しただけではありません。自然豊かな環境と融合しながら独自の文化を育てていった点に特徴があります。

 たとえば瑠璃光寺の五重塔は京都の影響を感じさせつつも、山口ならではの静けさと美しさを持っています。

 京都とは似ているけれどもどこかが違うというバランスが、小京都と呼ばれる理由をより深いものにしています。

日本各地の美味しいものが大集合

ささ、義稙さま…もとい、上様。

 応仁の乱の後、当時の室町幕府将軍の足利義稙(よしたね)はクーデターによって都を追放されてしまいます。このころから足利幕府の権威は失墜し、本格的な戦国時代へ突入します。

 そんな乱世を「宴会」で乗り切ろうとした武将が大内義興でした。

 義興は流浪していた元将軍を招き入れると盛大な膳と品数の料理でもてなします。

 そこで意気投合した2人は反対勢力に決起。足利義稙はみごと将軍に復帰することができました。

 しかし大内義興はその将軍を利用して「日明貿易を独占しよう」と、さらなる野望を抱いていたとも言われています。

よくもまあ好き勝手なことを

山陰新幹線こそが日本の大動脈

 そこまで調べるつもりなくウイキペディアのようなサイトをクリックしていくと「もし日本の首都が山口県の都市になっていたら」と出てきました。

 以下はあくまで想定されることの一部です。
*山口県は「西京都(さいきょうと?)」に改称
*国会議事堂は広島県寄りの岩国市に
山陰新幹線が建設される
*たとえ首都になっても山口市の地形では物理的に100万人も収まらない

☆Chakuwiki https://chakuwiki.org/wiki/もし日本の首都が山口県の都市になっていたら

副首都構想

 ところで、日本維新の会が大阪を副首都の設置を目指しているというニュースを見聞きされたことはありませんか?

 これを推進しようとしている人たちには、実は大内義興やChakuwikiもびっくりするような大きな野望があるのかも?

 (いいか悪いか実現可能かどうかはわかりません)

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