明らかに美しいとか綺麗と感じるものに出会うと、思考が一瞬止まってしまってその一言しか出てこなくなることがあります。
宮坂さんはこの時期に行われている仙台市のイベント「光のページェント」に毎年感動するようで、見る度に「綺麗だ」の一言しか出ないと言っています。
宮坂さんの心の中の感情が他の言葉を圧倒していたからだと言えます。
何も言えねー
美しいものを目にしたときには脳は視覚や感覚が圧倒され、目の前の美しさをそのまま受け取るだけで精一杯になります。
言語には表現できる範囲に限界がありますから、感覚や感動は時にそれを超えてしまいます。
そしてその感想を受けたとき、私たちの反応は瞬間的であることが多いようにあります。
その一瞬の感情を表現するためには、美しいという短くて直接的な言葉が自然に選ばれるのです。
綺麗と美しいの違い
皆さんは自身やその身近にあるものを「綺麗」とか「美しい」などと言われると、気分は良くなりますか?
「綺麗」とは掃除が行き届いている空間や、整っている外見を受けてのもの。
それに対して「美しい」は必ずしも外見からではなく、物がたくさんあったり豪華で派手であっても内面的に思う感情です。
「琴線に触れる」のは「美しい」ものを受けてのことかと考えます。
これは必ずしも論理的に説明できるものではありませんが…
どちらもこうした感情の曖昧さをそのまま表現する便利な一語でもあります。
しかし美しいものはそれ自体で完全であり、その感動を無理に言葉で説明しようとしなくても良いのです。
ルネサンス日本語学院 https://www.rn-ac.jp/blog/000900.html
言葉を増やす楽しみも
また「美しい」という言葉自体には多様なニュアンスが含まれています。
たとえば以下のように表現を工夫してみると、心の奥にある感情を引き出せるかもしれません。
「透き通るような青空」 「息をのむほどの静けさ」 「温かさを感じる柔らかさ」 「息を飲む光景」 「穏やかで心地よい音」 「心が洗われるような純粋さ」
こうした感情が、一言の「美しい」に集約されているとも言えます。
感動を少し詳しく言葉にしてみることで、新たな気づきや深い感受性多面性を育むことができます。
年が明けてからなら雪まつり
「美しい」とか「綺麗」としか言えなくなるのは、その圧倒的な力とその瞬間の感情の純粋さを表していると言えます。
そこからさらに言葉を重ねて表現を工夫することで感動を深めたり、他者と共有する楽しみを広げることもできます。
宮坂さんも「ページェントの美しさと感動をみんなと分かち合いたい」としばらくの間は興奮状態に。
私は一度だけ「さっぽろ雪まつり」に行ったことがあります。
自分への誕生日プレゼントとして行ってみたら、たくさんの雪の像が並んでいて美しさととものとても大きかったのです。その大きさにも感動させられました。
「綺麗」や「美しい」という表現の奥に潜む感情を探ることで、美しさをより深く味わえるかもしれません。